黒執事考察ブログ

葬儀屋(アンダーテイカー)についての考察を載せたいがためにはじめたネタバレ有りの考察ブログです。『黒執事』に隠された「嘘」と「伏線」に、貴方も騙されていませんか?

【黒執事考察ブログ】ネタバレ第174話「その執事、医療」/ アテナ退役軍人療養所は、生者と死者の合法的共存を目指すための施設か?

こんにちは、餅月です!
『黒執事』最新話第174話「その執事、医療」Gファンタジ―2021年4月号の考察をしていきたいと思います。

嬉しいことに、当ブログで考察していた内容がいくつか的中◎🎉しました!
こちらについては後ほど詳しく言及します。

アテナ退役軍人療養所の採血ルームが明らかになったことにより、黒執事は今回大きく進展を見せました。
最も重要だと感じたポイントは、
今までの血液収集施設スフィア・ミュージックホールなどと比べると、アテナ退役軍人療養所の血の抜き方とその姿勢は強制的に血を抜き失血死を続出させてきた今までの施設とは明らかに異なるという点です。

この違いには、葬儀屋と兄シエルが今後、蘇生された死者と生者の共存を本気で目指している姿勢が表されているのかもしれないと私は感じました。

兄シエルは、葬儀屋は、果たして本当に悪なのでしょうか?

ちなみに今回のGファンタジー4月号から、
枢やな先生が原案のツイステッドワンダーランドの連載がスタートしてます!
大人気スマホゲームのコミカライズ!
是非こちらも併せて読んでみてください(#^^#)

前回のネタバレあらすじ&考察記事はこちらです!
www.under-taker.com



あらすじ:黒執事第174話「その執事、医療」Gファンタジー2021年4月号

※考察に必要最低限の大まかな話の流れのみです。
詳しく知りたい方はぜひ本誌を買ってください!(^^)
※伏線として重要な可能性がある点は線と太文字で強調してあります。

扉絵:それぞれが異なる方向を見つめながら煙草をふかす劉とバルド

重なるフレイバー 違う視線
敵認定!?

・バルド達の調査目的であった採血ルーム。その存在を隠すどころか案内されたことに驚くバルド達。
・看護婦エイダはここでは入所者から血液を採取し、さる研究機関へ提供することで医学の進歩に貢献していると説明する。
・アテナ退役軍人療養所はその研究機関からの支援で運営されており、他の療養所よりも手厚い支援を受けることが可能になっていた。
・寄付金に頼っていた不安的な運営方法では患者全員に十分な看護を施すことが出来ず、十分な看護なくして患者を社会復帰に導くことはできないとエイダは言う。
・そんなエイダをロナルドが手帳を見ながら意味深に見つめる。
・採血は入所者の中でも若くて体力がある者、そして合意が得られた者のみに行われている
・入所者から280ml血を抜くエイダ。次は一か月後にしようという。
・毎日採ってもいいのにという入所者に対し、「それはだめだ!」と強い口調で一喝するエイダ。血液不足は不健康に繋がるため、しっかりと食事と休養をとり、体調を万全に戻してからという。
・次々と採血が終わる。終わった入所者にエイダは感謝を述べ、温かい紅茶を飲んで休憩をとってから病室に戻るよう指示する。
・バルドにも、無理強いはしないが、もし心身の状態が改善したらどうか採血のご助力願いたいとエイダは深く頭を下げる。
・「無理矢理血を搾り取る集団」と坊ちゃんから聞いていたバルドは混乱する。
・そんなバルドに「どうやってこいつらを殺すか」と笑顔で言う劉。
・ちょっと待ってくれと言うバルドに対し、劉は「ここは伯爵に害為す血液採取施設、君はここに何をしに来たの?」と笑顔で問いかけた

普段とは異なる敵に、バルド、逡巡!?
第174話終了
前回のネタバレあらすじ&考察記事はこちら
www.under-taker.com

枢先生の巻末コメント

最近焚火の動画を見ることにハマっています。虫が苦手なのでキャンプには行ける気しないんですが・・・・・。

いつぞや青の教団編で坊ちゃんたちが蛾の大群に襲われている絵を描かれていた際もこのようにおっしゃられていました

敢えて苦手なもので表現されたからこそ、あのシーンには一層胸が苦しくなるような凄みが増したのかもしれませんね。

そんな枢先生には是非癒しとして、
ゴールデンボンバーの鬼龍院翔さんがひたすら無言で一時間焚火に当たり続ける動画をお勧めしたいDEATH★

今回の重要な伏線箇所

重要そうな伏線の箇条書きです。
具体的な考察は、根拠とともにこの後詳しく書きます!

・アテナ退役軍人療養所は、生者と死者の合法的共存を目指すための施設か
・アテナ退役軍人療養所の血液収集法は、現代の「献血」に酷似している
・「さる研究機関」とは
・「医学の進歩」とは(エイダがどこまで理解しているか)
・献血と清潔さの関係性
・採血と食事、休養の関係性(ヒースフィールド男爵邸との共通項)

葬儀屋ヲタの叫び(感想)

個人的に今回のMVPは、
ラストを持って行った開眼劉でしょうか…!

アテナ退役軍人療養所の姿勢に戸惑いを隠せない人情味のあるバルドも素敵ですが、そんな一面を見ても当初の姿勢を一切ぶらすことがない冷酷な劉もまたカッコいい…!

またアテナ退役軍人療養所の患者に向き合う姿勢も明らかになり、非常に興味深かったです。

以前より当ブログではアテナ退役軍人療養所は摘発が難しい施設である可能性について言及してきましたが、いよいよ可能性が高くなってきたような気がします。

アテナ退役軍人療養所の行っていることは、現代の献血、輸血のやり方に酷似しています。これ自体は、まったく悪いことではないんですよね。
そして葬儀屋が行っている死者蘇生の実験も、現代の今までの医療体制を作るために行われてきた動物実験や人体実験とどこが違うかというと、意外とやっていること自体は近しいのかもしれません。

しかし葬儀屋たちはアテナ退役軍人療養所のような合意を伴ったやり方のみならず、無理矢理血液を搾取したこともまた事実です。

劉の様に葬儀屋たちを悪とみなすのか。それともバルドの様に悪かどうか判断できないのか。
この問題は、黒執事の世界のなかの話だけではなく、そっくりそのまま現代の医学の問題にも当てはまるのかもしれません。

それでは考察に移っていきたいと思います!

アテナ退役軍人療養所は、生者と死者の合法的共存を目指すための施設か

以前より当ブログでは、
アテナ退役軍人療養所は他の血液収集施設と異なり、殺人が行われていない、検挙が難しいクリーンな施設である可能性について言及してきました。
またアテナ退役軍人療養所ではたとえ患者が血液を抜かれていたとしても、失血死を起こさないような無理のない量にとどめられている可能性があると考察してきましたが、これらが全て的中◎しました!🎉

的中部分を引用記事で紹介させて頂きます。
アテナ退役軍人療養所で人が殺されていないと考える理由については、過去の考察記事より引用させて頂きます。

アテナ退役軍人療養所で人は殺されていない可能性

私は、このアテナ退役軍人療養所では今までの様に人が殺されたり囚われている可能性は低いのではないかとも感じています。

先ほど私は死神が現れたことでこの施設には何かがあると言いました。
しかし、その「何か」が不審死であるとは限らないのです。

今回ロナルドが出てきましたが、これはミスリードである可能性も考えられるのではないでしょうか。
具体的に言いますと
死神がいる=不審死が必ず起こっているというわけではないということです。

スフィア・ミュージックホールの時のオセロを思い出してみたいと思います。
オセロは失血死だけに注目せず、本来死ぬはずの人間の寿命が延びていることにも注目していました。
決められた寿命が延びることはめったになく、異常なことであるとオセロは言及しています。

つまり、人が寿命前に死ぬことだけが死神にとって調査対象なわけではなく、本来の寿命を超えて生き続ける人間が多数いてもそれは調査対象となることが分かります。

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寿命が延びたことに注目するオセロ:黒執事25巻第124話「その執事、搬送」より引用

何故ロナルドはここに派遣されたのか。
それは、オセロが言っていたように
このアテナ退役軍人療養所で死者が出ているからという理由ではなく、むしろ本来死ぬ予定だったものの寿命が延長されるというイレギュラーなことが起こっている現場だからという可能性はないでしょうか。

また、退役軍人療養所の説明にはこのような一文がありました。

再起不能とされた兵士たちを数多く社会復帰に導いている

この言葉を素直にとれば、
血をとるターゲットとなるはずの再起不能の退役軍人たちがこの施設を生きて出て、社会復帰を果たしているというのです。

退役軍人療養所は死を待つ場所とバルドは言っていました。
このことからも死者がゼロであるというわけではないと思います。
死ぬ人もいれば、同時に人が死ぬことを自然死に見せやすい場所ともいえるのかもしれません。

当然このような人たちから多めに血を抜いたり、命に影響がない程度に血を抜くことはあると思います。

しかし少なくともここでは不自然な失血死の死者は出ていません。
それはセバスチャン達が調べた退役軍人療養所についての説明文にそのような記載がないことからも明白と言えます。

このことからわかることは、
アテナ退役軍人療養所はターゲットから仮に多少血を抜くことがあったとしても、ヒースフィールド男爵邸やスフィア・ミュージックホールのように命の危険を脅かすような無茶な血の抜き方は恐らくしていないということです。本誌で言及あり大的中◎

もっと具体的に言えば、
アテナ退役軍人療養所は今までの施設とは存在理由が違う施設である可能性があります。本誌で言及あり大的中◎

スフィアやヒースフィールド男爵邸は、多少無理をしてでも血を集めることに役割を重く置かれた施設でした。

これに対してアテナ退役軍人療養所は
ターゲットをなるべく殺さずに生かし続けることが出来るような方法を研究し、かつ徹底的な衛生管理と統計学に基づき正しい処置を行うヒーリング施設である可能性があります。

今までの様にターゲットが死んでしまえば、一瞬だけ多く血を得られたとしてもすぐにまた血は足りなくなってしまいます。しかも血を抜けるはずの人間は死んでしまっているため、またイチからターゲットを探さなくてはいけなくなります。しかも人が死んでいることから足も付きやすくなります。

それに比べ、もしターゲットを健康な形で生かし続けることが出来ればどんなメリットが兄シエルと葬儀屋側にあるでしょうか。
足もつかずより長期的に血液を収取できることに繋がります。


また更に言えば、スフィア・ミュージックホールが殺人を犯したくないと思っていることもすでに原作の下記部分で明らかにされています。

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失血死は出したくないスフィア・ミュージックホール:黒執事25巻第122話「その執事、待望」より引用

しかしここで勘違いしてはいけないことは、
彼らは優しさから殺人を犯したくないと思っているわけではないということです。
あくまでターゲットに死なれては、血液供給が回らなくなるからという残酷な理由です。

これこそがアテナ退役軍人療養所の血液収集よりも大切な、一番重要な目的である可能性があります。

引用源
www.under-taker.com

上記の引用記事では、対象者を生かす理由として、長期的に血液を収集するためというポイントの身に言及しました。
しかし今回の第174話で明らかになったことをまとめると、アテナ退役軍人療養所は生者と死者の合法的共存を目指すことに目的を置いた施設である可能性も考えられると感じます。

具体的に考察していくにあたり、
いままでの兄シエル側の血液収集施設とアテナ退役軍人療養所を比べてみたいと思います。

スフィア&ヒースフィールド男爵邸
→採血を行っている事実を隠す
強制的に対象者から血液を抜く
→時には対象者の生死を顧みない量の血液を抜く
理由:非人道的な方法、死亡事故が起こっていたから。施設がつぶされる可能性があった為。

アテナ退役軍人療養所
→採血を行っている事実を隠さない
→若くて体力がある者かつ、合意が得られた者からのみ採血を行う
健康被害が起こる量の血液を一気に抜くことはしない
理由:隠さなければいけない非人道的な事や死亡事故が起こっていないから。故に施設がつぶされる可能性は低い

このように比べてみると、この施設の相違点は
兄シエル達の表の顔と裏の顔を表しているのかもしれません。

更に具体的に説明していきたいと思います。

「表の顔」と「裏の顔」

裏の顔:尊厳を無視してでも血液を搾取する闇施設

当てはまる施設:スフィア・ミュージックホール&ヒースフィールド男爵邸

スフィア・ミュージックホールやヒースフィールド男爵邸のような人の尊厳を脅かす方法で無理をして血液を搾取する施設が葬儀屋たちの裏の顔である可能性があります。

表の顔:血液を抜く対象者の負担を最大限に考慮し人道的に採血を行う施設

当てはまる施設:アテナ退役軍人療養所

アテナ退役軍人療養所はスフィアミュージックホールなどの施設と比べ非人道的な方法や意図的な殺人を行っていないことから、この施設自体隠す必要が無く、また壊される心配もないいわば葬儀屋たちの表の顔である可能性があります。

「表の顔」と「裏の顔」どちらも黒幕は同じ

この考察で特に重要だと感じているポイントは、
この「表の顔」の施設と「裏の顔」の施設の背後にいる黒幕が同一人物(兄シエル&葬儀屋)であるという点です。

例えばこれらの血液収集施設のが、その施設を運営する背後が違うことにより起こったのだとすればもう少し分かりやすい話になっていたと思います。
血液を集める必要があったとき、
とある会社では人道的な方法をとり、とある会社では非人道的な方法で強引かつ大量に採取する…。というように。

このように分かれていれば、勧善懲悪のわかりやすい単純な形となります。
もし黒執事が上記のような描かれ方をしていたとしたら、葬儀屋と兄シエル達は間違いなく完全な悪役という立場になっていたのではないでしょうか。

しかし私が今回注目しているポイントは、
これらの施設は「表」「裏」含め全てが、結局は葬儀屋と兄シエル達が動かしている施設であるという点です。

ここが非常に面白く、またリアリティに溢れたポイントのように感じます。

一見患者思いの良い看護婦に見えるエイダ。
しかし彼女が知っているかどうかは定かではありませんが、彼女の背後に葬儀屋がいることもまた事実なのです。

具体的に説明していきたいと思います。

葬儀屋は本当に「悪」?

前回のネタバレ考察と多少話が重複してしまうのですが、重要なことなので改めて書き記しておこうと思います。

葬儀屋たちは血液収集をめぐり限りなく「悪」に近い方法を取っていますが、上記のように血液を抜く対象者の事を最大限に配慮した方法もまた同時に取ろうとしています。
勿論上記はいい意味で捉えた場合の考え方であり、施設をクリーンなものにすることにより検挙され破壊されるリスクを抑え、かつ血液を抜ける人物を減らさないためという利益的な理由も十分含まれているとは思います。

しかしもしこれらを好意的にとらえるのであれば、葬儀屋たちは死者と生者の共存を目指しているとも捉えられるのではないでしょうか。

そしてこれは、今まで人類が不治の病と闘い、克服してきた歴史とどこが異なるでしょうか?

元々は一度かかってしまえば死ぬほかなかった病気も、人類は沢山の臨床実験を繰り返して治療法を見つけてきました。
その中には、合意を得ることが難しい動物実験や、戦争中に行われた違法な人体実験などの未だに議題に上がるような負の一面も沢山あったはずです。

これらを乗り越え、治療法を解決した結果人類は克服できる病気を一つまた一つと増やしていきました。

しかし今もなお人類が克服することが出来ない最大の不健康な出来事。それが死です。

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最大の不健康である「死」:黒執事11巻第52話「その執事、運航」より引用

葬儀屋は、「死」を、他の病気と同じように克服できるものにしようとしているのではないでしょうか?
今は乗り越えることが出来ない「死」を、葬儀屋はなんらかの輸血技術を持ちいて克服できるものにしようとしているのかもしれません。

もし死者蘇生の為に必要な輸血量と、人を殺さない範囲の採血量のバランスが取れた場合、それは現代の献血に支えられる輸血技術と何が違うんでしょう?
またもし死者蘇生の方法として輸血さえ必要なくなったとしたら、もはやその時「死」は「病気」と何が違うのでしょうか?

もしかすると葬儀屋たちは失血死による犠牲を最小限にする努力をしつつも現段階では避けきることが出来ない必要なことだと割り切り、行動しているのかもしれません。
そしてもし本当に葬儀屋が完ぺきな死者蘇生に成功した時、それは昔は不治の病と言われた病気をを克服した時と同じように、「死」もまた「克服できる病」となるのではないでしょうか。

アテナ退役軍人療養所型の血液収集施設は大量に必要になる可能性

これはまだあくまで根拠の薄い考察なのですが、
葬儀屋たちは、ゆくゆくはスフィア寄り考えの施設よりはこのアテナ退役軍人療養所型のような生者に負担が少ない形で合法的に血液を収集できる施設を沢山増やしていこうと考えているのではないかと感じています。

そう考える理由は、アテナ退役軍人療養所で行われている採血は、現代の献血に酷似しているからです。
これは葬儀屋と兄シエルにとってメリットとデメリットがあります。

メリット
・合法に血を採取できる(献血のはしり、と言えるか)
・失血死が起こりにくくなる
・施設を隠す必要がなくなる

デメリット
・少量ずつしか血液を取れない。

→たくさんとった場合
・その例がスフィア。
・人体に無理をかけるため人が死ぬリスクがつく
・人間が死に血液が取れなくなることや、その事件性から警察に介入される可能性も高くなり長期的な採取は難しくなる。

この血液が少量ずつしか取れないというのは施設目的にしてはだいぶ致命的に感じます。
ではそれを克服するためにはどうすればいいのか。
答えはもしかするととても簡単なのかもしれません。

解決方法
→少量ずつ取る施設をたくさん作る。

それは、この施設自体をたくさん作るということです。
たとえ一つ一つの施設で今までのような大量の血液を得ることが難しかったとしても、その施設の数自体を増やしてしまえば相対的に血液の収集量は増えます。
また人間が死ぬリスクも格段に減り、警察に介入されつぶされるリスクもなくなることからより長期的に安定して血液を収集することが可能になります。

このことから、まだあくまで根拠の浅い予想ではあるのですが、
葬儀屋たちは将来的にはアテナ退役軍人療養所タイプの血液収集施設を増やし、現代で言う献血ルームのような形を造ろうとしているのではないか?と予想しました。

「さる研究機関」とは

今回エイダの口から興味深い内容が語られました。
それは以下の通りです。

・アテナ退役軍人療養所は採取した血液を検体としてさる研究機関へ提供することで支援を受けている。
・検体提供により医学の進歩に貢献している

ここで気になるのは「さる研究機関」と「医学の進歩」についてです。

さる研究機関とは、葬儀屋が関わっている死者蘇生実験の中枢に関わる組織であることは間違いがなさそうです。
しかしその実態はいまだに謎のままです。

例えば、死者蘇生の実験も葬儀屋の様にファントムハイヴ家への執着の為であったり、ビザールドールを生物兵器として利用するためだったりなど、目的が今の時点ですら既に2つに分かれていることが理解できます。

そして葬儀屋の豪華客船編でのセリフ「ビザールドールを欲しがる人間もいる。その殺傷力を確かめるために豪華客船を使い実験をしてみたがあまりうまくいかなかった。小生怒られちゃうかな」という言葉から考えて、ビザールドールを兵器として使いたい人物こそが葬儀屋に莫大な投資をしているパトロンである可能性があります。

そして葬儀屋の実験施設のレベルから考え、このパトロンが国家レベルのものである可能性も否定できません。

となると、この「さる研究機関」とは、葬儀屋のみならずどこかの国のことまでを指している可能性があります。

葬儀屋と国家レベルのパトロンについての考察は下記記事にまとめてあります。
www.under-taker.com
www.under-taker.com

「医学の進歩」とは

「医学の進歩」そして「さる研究機関」。
エイダのセリフではこれらの具体性が無く非常にぼんやりしたままです。

葬儀屋たちを知っている私たちから見てみると、

「医学の進歩」=死者蘇生、死の克服
「さる研究機関」=葬儀屋、もしくは国家レベルのパトロンが持つ巨大な組織(葬儀屋込み)

かな?となんとなくはあたりが付くのですが、エイダ自身がどこまで理解しているかがこれからちょっと重要なポイントになってくるかもしれません。

と言いますのも、これらの内容を理解しないまま突っ走り、身を滅ぼした人物こそ豪華客船編で犠牲となったカルンスタイン病院の院長、リアン・ストーカーだからです。

死者蘇生の完全救済を歌うリアンに対し葬儀屋は、
「小生の技術に頼った時点でそれはもう医学ではないし、自分に理解できない施術を患者に施すような奴はもう医者じゃないね」と見限られることになります。

今のところエイダは
治療の内容を理解し患者に施す、責任感にあふれた人物のように見えます。

しかし自分たちのバックにいる「さる研究機関」がどのような機関なのか。「表」のほかに「裏」で何をやっているのか。そしてなにより検体として提供している血液が一体どんな形で医学の進歩に役立っているのか。ここをい理解できているかいないかで、エイダの今後の命運は大きく分かれてきそうな予感がしてなりません。

意味深なロナルドの視線

エイダの命運を不安に思う理由として、ロナルドが一瞬エイダを見た後に死神の手帳を確認したことが挙げられます。
死神の手帳には、死亡予定者の情報が書き込まれています。

ロナルドがエイダを見たとき、エイダは「寄付金に頼っていた従来の不安定な運営方法では患者全員に十分な看護を施すことはできない。そして十分な看護なくして患者を社会復帰に導くことはできない!」と丁度発言したところでした。

先ほど引用記事でも言及した通り、ロナルドがこのアテナ退役軍人療養所に派遣された理由は死ぬ予定だった人間が何人も延命されているからです。
このことから、エイダの死亡予定を確認した、と言うよりは、エイダの患者を社会復帰に導くというセリフに反応し手帳を確認した、と言う可能性も十分濃厚であると感じます。

まだどちらの意味なのかは定かではありませんが、このロナルドの手帳を確認した動作は今後の展開に関わる伏線となる可能性があります。

お金と採血

そして責任感の強いエイダを心配する理由が、検体を提供する理由についてです。
エイダはそれを医学の進歩の為とだけ説明していますが、もし、エイダがこの検体提供の理由を詳しく知らないまま行っていたとした場合、医学の進歩の為という理由は形上になってしまい、本当に重要なのは検体を提供することで研究機関から得られる手厚い支援と資金のほうであることになってしまうからです。

そうなるとちょっとリアン・ストーカーと似た状況になってしまいそうで、少しばかり雲行きが怪しくなってきます…。

医学の進歩のための検体提供とは名ばかりで、やっていることは売血と似た形になってしまうからです。

売血の歴史

ここで一度、売血について調べてみました。
現在の日本では献血が一般的ですが、過去には日本でも売血が行われ、血液銀行なるものが存在していました。

しかし売血は生活費を目当てに血を売るものが多く、不健康な状態で血を抜き続けることにより黄色い血が問題になりました。

採血と衛生管理健康管理

また不衛生な針や病気を持つ人間からの血を輸血した場合、そこから輸血を受けた人間が病気に感染することもあるそうです。
採血をする上で、衛生管理と健康状態の管理は想像以上に密接な繋がりがあることが分かりました。

これは食事と休養の重視しているポイントとして、スフィア・ミュージックホール、ヒースフィールド男爵邸、アテナ退役軍人療養所すべてに一致する共通項です。

つまりこれらの対応は、
血液を抜く相手が死なないように健康状態を維持するのみならず、採血した血から病気に感染するリスクを下げるための対策であった可能性があります。

スフィア・ミュージックホール
→血を抜く前に参加者に贅沢な食事を無償で振る舞い、血を抜いた後は帰る参加者にお菓子やジュースなど高カロリーなものを渡す

ヒースフィールド男爵邸
→お風呂は2日に1回、消灯は10時。食事は一日きっちり3食。

アテナ退役軍人療養所
→血液を抜く量は280mlを月1まで。採血後は積極的に水分を取らせる。適度な運動と十分な睡眠、きちんとした食事を重視する

以下、血液の売り買いに関する引用です。

血液の売り買い

昔は血の買取が頻繁にされていたのに、なぜ血の買取制度が廃止されていったのかという点について述べていこう。
そこにどういった理由があるのだろうか。
頻繁の売血を行うこと生じる黄色い血が問題になったからだ。
上記で述べたように、血液の買取は低所得の肉体労働者が主流となって行われていたのだが、やはり、血の買取を行っていくと生活費を目当てに血を売る者が増え、非常に不衛生な血を採血していくこととなる。

当時の血液銀行、また売血者にはモラルが薄かったと言われており、金銭目的のため、短期間で採血を行うことで、赤血球の回復がされないままの血に胆が混じり、血液が黄色になるといった血液・黄色い血が問題視されだしたのだ。

(中略)

売血制度廃止のきっかけとなったのが、ライシャワー事件
血の買取を行っていった結果、大きな事件が売血の危うさを露呈させる事件だ。どういった事件なのか簡単にだが、ここで紹介しよう。

1964年にエドウィン・O・ライシャワーが、アメリカ大使館の門前で、何者かにナイフで、太ももを刺され重傷を負った事件である。このとき輸血用の血液で治療が行われてたが、この輸血が原因で肝炎になってしまう。

この事件がきっかけで、売血された血の輸血の危険性が再認識されることになり、売血制度は終焉を迎えることになるのである。

(中略)

ヨーロッパ諸国、アメリカ、中国などは今でも売血制度がある
世界に目を向けると、この売血の制度はなくなっておらず、問題視もされている。上記で説明したように、血液の買取を行うと金銭メインでの取引となっていくため、なかなか良い状態での血液を採血しづらくなるのが現状だ。

ウイルス感染が問題視されながらも、大国で行われる売血。
このような血液事業がなくならないのは、やはりそれなりに意味がある。血液を買うところがあるということなのだ。

では、どういったところが血液を買うのかということだが、それは血を必要としているところ、もしくは国なのだ。

(中略)

【まとめ】
血の買取は、ずさんな取引が行われる可能性が高く廃止された
ここまで、なぜ血の買取はないのかということを説明してきた。実際、昔は血の買取という売血は行われていた。さらに、その売血は生活費を捻出するために、頻繁に行われていたのである。

金銭メインの取引はずさんな血の取引を生む
そういった売血を行うことにより、金銭メイン利益重視の取引となり、いつの間にかずさんな血の取引が行われるようになり、それが原因となり、肝炎を引き起こし、感染症を蔓延させる結果になった。

不衛生に取引される血液が問題
そのことから、売血制度は廃止されたが、現在の日本では輸血用血液は献血では足りないため、輸入に頼ってしまっている。そういった背景も関係し、世界では売血事業がまだまだ多く存在する。だが、売血自体が悪いのではなく、モラルなく不衛生に取引される血液が問題なのである。

引用源
血を売るのは違法?献血買取が無くなった理由と世界の事情| ヒカカク!

献血と売血について

1.献血はなぜ無償?
 病気やけがの治療の際に、輸血がおこなわれることがあります。そのための血液は、もとは「献血」によってみなさんが提供した血液です。阪南大学にもときどき献血バスが来ていますし、街中には献血ルームもありますので、献血をしたことがある人も少なくないのではないでしょうか。


 さて、献血というと、日本では「無償」でおこなわれています。つまり、私たちは献血をしてもお金をもらうことはできません。これを知らない人はほとんどいないと思います。では、なぜ献血は無償なのでしょうか。(献血をすると飲み物がもらえたり、回数によって記念品がもらえる場合もありますが、現金がもらえるわけではありません。)
 献血バスの近くで「〇〇型の血液が不足しています」という看板が掲げられていることや、ニュースで「献血者の減少」「血液の不足」が話題になっていることを目にしたことがある人もいるでしょう。そうであるならば、献血者に対してある程度の対価(現金)を支払えば、献血をする人がもっと増え、血液が不足することもなくなるのではないでしょうか?


2.かつては「売血」がおこなわれていた
 実は、日本では1960年代までは、「売血」と言って、献血をした人に対してお金を支払うということがありました。民間企業が「血液銀行」を運営し、そこで一般の人々にお金を払い、輸血用などの血液を集めていました。いくらぐらいもらえていたかと言うと、1964年12月の新聞記事によると、400ccで1200円ぐらいだそうです。当時の高校卒業程度の国家公務員(一般職)の初任給が約14000円(現在の初任給15万円程度)でしたから、1回の献血で1200円というのはけっこうな金額です。今でも、もし献血をしてお金がもらえるのであれば、みんなもっともっと献血に積極的であったかもしれません。しかし、なぜ民間の血液銀行がなくなり、献血は無償になってしまったのでしょうか。
(中略)


3.「血液を売りに出す」ことの問題


 日本では、1960年代に輸血用血液の献血が無償になり、その後、医薬品の原料となる血液の献血も無償になりました。この背景には、上の記事に書かれていることの他に、売血によって提供された血液を輸血された患者が、感染症にかかってしまうという問題もありました。しかし、必ずしもすべての国が売血を禁じているわけではありません。
 献血にそれなりの報酬を出すことの問題について、貧しい人がお金ほしさに売血をして、健康を害することや、感染症の危険などの他にも、道徳的問題を指摘する人もいます。このことについて、マイケル・サンデルという倫理学者が『それをお金で買いますか—市場主義の限界』(早川書房、2012年)という本の中で、ある社会学者の研究を紹介しています。
 売血を容認することによって、社会の中にある献血をすることへの義務感が失われてしまいます。つまり、人々から血液を買い取る商業的な血液バンクがあれば、人々は血液を売り買いできる商品と考え、献血をしようという道徳的な責任を感じにくくなるというのです。確かに、無償であれば、人々はボランティア精神で「献血をしよう」という気になりますが、お金が介在するとボランティア精神が発現せず、「お金が必要な人がやればいい」とか「仕事なんだったらやらない」「私の仕事ではない」というような意識になってしまうこともあるかもしれません。こうして、お金で取り引きされることで、人々の道徳意識や責任感が締め出されてしまうのです。

 最近では「やりがい」や「達成感」などをアピールして人々を不当に安い賃金で働かせる「やりがい搾取」という言葉もあって、労働に対する適正な対価を支払うことが求められています。献血にしても、無償であるから血液の不足が解消されないということもあるでしょう。何に対してどれだけお金が支払われ、何に対してはお金で売り買いしてはいけないかは、——特に人間の身体に関することでは——とても難しい問題です。

引用源:
第15回「献血はなぜ無償なのだろうか?」|経営情報学部 経営情報学科|阪南大学

まとめ/現代の献血と酷似するアテナのやり方

調べれば調べるほど、アテナ退役軍人療養所の採血方法は現代の献血に酷似していると感じました。

死体である兄シエル達が血を求めているのも、駅前で献血ルームが「血液が足りません!」と献血をお願いしている姿勢と結果として求めている内容は一致していると感じます。

では兄シエルと葬儀屋たちは悪ではなくシロと言えるのでしょうか?

残念ながら、現段階では答えはNOだと感じています。

それは、兄シエルと葬儀屋にはアテナ退役軍人療養所の「表の顔」と言えるやり方のほかに、人道からかけ離れた「裏の顔」での血液収集の実績があるからです。

ただしこれらは、現代社会でも実際に問題になっている、答えを出すのが極めて難しいとてもセンシティブな問題である可能性があります。

医学の発展のための動物実験や人体実験を始め、売血が禁止された日本でも、献血ルームは結局は血を必要とする医療機関の支援により認められている施設です。
そのため、売血という制度は形上は存在しないものの、事実としては血が必要な医療機関が献血ルームを支援することで血液を買っているといえてしまうのもまた現状です。

物語の中ですので多少は大きく描かれており、葬儀屋たちがやっていることは間違いなく悪の一面もあるのですが、それは実は現代社会の中にも意外と垣間見える一面なのではないかと感じます。

葬儀屋がもし仮に他の病気と同じように死を克服することに成功したとしたら。
それをよしとしない現在の神であろう死神派遣協会のお上と衝突するのは必然のように感じます。

葬儀屋VS死神派遣協会
これはもしかすると神の座をめぐる戦いのような意図もあるのかもしれません。

ただ、そうはいいつつも葬儀屋さんは対峙したオセロに対し「まだ君のラボで解体されるわけにはいかない。」と言っています。

このことから葬儀屋さん自身は自分が神になりその座にとどまる、と言ったようなことは望んでないような気がします。
では葬儀屋が思い描く納得がいくゴールとは一体何なのでしょうね?
神と衝突した状態ではせっかく蘇生した兄シエルが生き続けられるとも限りませんし…
これは完全な妄想ですが、双子たちの寿命を全うさせるまで、とかでしょうか?

葬儀屋さんの死者蘇生の目標は、今のところは死神派遣協会の転覆ではなくあくまでファントムハイヴ家に向いているような気がします。
ただ70年前に一度死神派遣協会を半壊にまで追い込んでいる葬儀屋さんなのでそのくらいしたくなるような因縁は持ってはいそうですが…!w

まだまだ先が見えませんが、今後も注意深く見守っていきたいと思います!

餅月