こんにちは、餅月です。
黒執事を考察するにあたり、どうも気になる国が「ドイツ」と「フランス」です。
特にまだあまり焦点が置かれていないフランスが、今後黒執事とどのようにかかわって来るのかが非常に興味深いです。
そこで今回はフランスとドイツの歴史について調べてみました。
また、特に「医療」という視点から、19世紀当時のフランスとドイツの立場はどのようなものだったのかを調べてみました。
黒執事に登場したフランスとドイツの姿
フランス
- 葬儀屋がフランスへ行っている
- アニメ黒執事において「パリ万国博覧会」が登場する
- シエルとはフランス語で空を意味する単語である
- シエルは流調にフランス語を話すことが出来る
ドイツ
- ディーデリヒ、サリヴァン、ヴォルフラム、ジーメンス卿(密室殺人事件編)の出身国
- 当時まだ存在しなかった戦車を秘密裏に開発していた。
- 当時まだ存在しなかったサリンの開発に成功した(セバスチャンとシエルにより隠蔽。なお女王は知っている可能性あり)
ではこれらを踏まえた上で、当時のフランスとドイツについて具体的に述べていきたいと思います。
19世紀にはナポレオン戦争により国民皆兵の軍制が各国で採用されたことに
伴い、戦場で大量の軍医を必要とするようになりました。
この事が各国における医療の発達を促す事になります。かつては個人に対してのみ必要とされていた医学が集団に対して必要とされる時代が到来したわけです。ここに「ベッドサイドの医学」から「病院の医学」への転換が行われます。また、ナポレオンが化学を奨励した事により、化学の発展が促されます。
まさに戦争が医学を含めた科学技術を発展させる原動力であったのです。フランスは1793年から1814年までの間、常に外国と戦争をする状態におかれ、戦傷者たちを手当てする医師が必要とされます。1794年に新しく開校した医学校においては、かつての書物重視の教育から実地訓練重視のより実用的な教育へと変化します。その結果、従来外科と内科が区別されていたのを廃止して、外科と内科の統合が行われます。これによって外科的手法が医学全体に広まり、皮膚の表面に現れた変化を理解するための枠組みが、体の内部の変化を理解するのに用いられるようになりました。
19世紀「病院の医学」から「実験の医学へ」
更に19世紀中頃になると、医学教育と化学の接近に伴って大学や医学校から切り離された研究所も設立されるようになります。「病院の医学」は「実験室の医学」へと更に進化を続けるのです。19世紀の終わりには、パリのパスツール研究所(1888)、ベルリンの伝染病研究所(1891)、サンクト・ペテルブルクの実験医学研究所(1892)、東京の伝染病研究所(1892)、イギリス予防医学研究所(後のリスター研究所、1893)などが相次いで設立されます。19世紀のフランス医学の特徴を挙げるとすれば、上記の歴史で見てきたように病院医学を開花させることでヨーロッパ医学の最先端を切った事でしょう。
更にクロード・ベルナールが『実験医学序説』を著わして実験医学の方法を叙述したように、19世紀のフランス医学は、全体としての医学の方向性を左右する先駆者としての特徴を持っていたと言えるかもしれません。一方のドイツですが、18世紀のモルガニーニの病理解剖学などの実験医学を通して、19世紀後半から20世紀初頭にかけてドイツ医学は全盛時代を迎えます。
ミュルレルの解剖学、フォン・ヘルムホルツの生理学、ウィルヒョウの病理学、コッホの細菌学など数多くの研究者たちが現れて基礎医学が飛躍的に発展しました。19世紀ドイツ医学の特徴を挙げるとすれば、それは基礎医学における多大な貢献であったと言えるでしょう。しかし、ドイツ医学は基礎医学という理論に固執しすぎて、実践的な臨床医学
を軽視したため、やがてアメリカ医学にとって代わられることになります。
引用源:19世紀の、ドイツ医学とフランス医学の特徴ってなんでしょうか。 - 19世... - Yahoo!知恵袋
ソースが知恵袋なので少し怪しいのですが・・
もし追記情報や誤り等がございましたらコメント欄でご助言いただけますと助かります!
簡単に要約しますと、19世紀のフランス医学とドイツ医学を端的にまとめると
フランス医学:ヨーロッパ最先端
ドイツ医学 :基礎医学における多大な貢献
ということになります。
サリヴァンという基礎医学の糧を手に入れた坊ちゃん。この基礎の力を基に、今後フランスの最先端医療(葬儀屋?)に対応してくのかもしれませんね。
餅月