こんにちは!餅月です。
今日はF.O.L.児童養護院編で描かれた「手を差し伸べる」描写について考察していきます。
第211話で遂に完結したF.O.L.児童養護院編。
実は「手を差し伸べる」ことが今回のF.O.L.児童養護院で重要なカギとなっていたことに皆様お気づきでしょうか?
今回の記事は下記記事からの抜粋となります。
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「手を差し伸べる」がキーワードだったF.O.L.児童養護院編
F.O.L.児童養護院編では手を差し伸べる描写と、その手を掴む描写が何度か描かれました。
相手を助けようとして手を伸ばす描写。そしてその手を取る描写。
今回のF.O.L.児童養護施設編ではこれらが何度も印象的に描かれました。
一見同じ意味合いに見えるこれらの動作ですが、背景をみると対比として描かれている事が分かります。
スネーク
・サーカス団がスネークに対し救いの手を差し伸べ、スネークはその手を取った
・坊ちゃんがスネークを勧誘し手を差し伸べ、スネークはその手を取った
フィニアン
・実験施設から脱出するために地下から手を伸ばし、その手を坊ちゃんが取った
・F.O.L.児童養護院から脱出時、力尽き掛け水面に伸ばしたフィニアンの手を、子供たちが取った
スネーク:利用価値の説明がないままの「救いの手」
F.O.L.児童養護院で命を落としてしまったスネーク。
そのスネークが死ぬ間際に思った内容は以下の通りでした。
スネーク
「みんな俺達を騙していた?利用していた?それならなんで、なんでお前達は俺達に手を差し伸べたーー?」
黒執事第208話「その執事、解放」より引用

これは非常に残酷です。
何故こんなに残酷に映るのでしょうか?
それは、サーカス団にも坊ちゃんにも、スネークを助けたいという善意がゼロではなかったという点にあるのではないかと私は感じています。
勿論、スネークを救い上げた目的のメイン部分は利用価値が高かったからにあるのかもしれません。
しかしもし本当にそれだけが目的であれば、スネークが元々いた見世物小屋同様、スネークを人間扱いする必要などなくただ利用し続ければいいだけのはずです。
しかし、ドールはスネークを殺してしまった事に対し涙を流し、フィニも傷ついています。
まだ事の顛末を知らない坊ちゃんですが、恐らくこの事実を知れば坊ちゃんはアグニが殺されてしまった時同様の動揺を見せるのではないでしょうか。
これらは、サーカス団にも坊ちゃんにも、スネークに対して利用目的だけではない救いたいという気持ちがあったから故なのだろうと感じてやみません。
何故互いにこれだけ苦しい思いをすることになってしまったのでしょうか?
それはサーカス団も坊ちゃんも、スネークに手を差し伸べる際善意の気持ちしか伝えていなかったことが悲劇の始まりなのではないかと感じています。
ちょっと意地悪な言い方をすれば綺麗事です。
お前を救いたい、という気持ちのみを伝えており、利用価値があるからという点はスネークに対し伝えていませんでした。
ここを隠してしまったからこそ、救いたいという気持ちが決して嘘ではなかったにも関わらず、最終的にはこれほどまでにスネークと自分自身さえも傷つける結果になってしまったのではないでしょうか。
そして、上記坊ちゃん&サーカス団とスネークの間で起きた悲劇の対比として描かれたのが、第211話でのフィニとアーティのシーンであると思われます。
フィニ:利用価値の説明があった「救いの手」
水中であわや力尽きかけたフィニアン。
必死に伸ばした手は子供たちによってつかまれ、一命をとりとめました。
その時、フィニアンと子供たちの間ではこのような会話がありました。
フィニ
「な、なんで…。」
アーティ
「黙ってろ!あんたにはまだ死なれちゃ困るんだよ。」黒執事第211話「その執事、旅装」より引用
まずフィニは子供たちが自分を助けたことに「なんで」疑問を感じました。
これは自分を助けたことに疑問を感じた死ぬ直前のスネークと一致します。
子供たちだけでは解決できなかった鉄格子をこじ開けてあげた今、リスクを冒してまでフィニの事を助けるメリットが分からなかったからでしょう。
しかしこれに対しアーティは「あんたにはまだ死なれちゃ困るんだよ」と、フィニにはまだ利用価値があることを真っ先に説明しました。
スネークのこじれ具合を見た後のこの瞬時のレスポンスは、私にとってはなんだか嬉しく、とても誠実なものに感じました。
少なくともここでアーティはフィニに対して嘘をついていません。
マスティフクラスの最適性であるアーティならば、この緊急時であったとしても、施設にいた際職員に対して行っていたようにまるでセバスチャンのような様子で口触りのいい偽善の言葉をフィニに述べることも恐らく出来たはずです。
しかしアーティはそれをせず、恐らく適性教育を受ける前の本来のアーティのまま真意をフィニアンに伝えました。
通常時であればこれは一見冷たく聞こえてしまったりするかもしれません。
しかし、「嘘」や「偽善」がテーマとして挙げられることが多い黒執事の中では、この泥臭い感情をぶつけてくれたアーティのある種の素直さは希望のようなものにも見えると感じました。
とはいえ、子供たちもフィニアンを助けたのは利用目的だけではないはずです。
それはオリバーが無言でフィニを抱き締めるシーンを見ても明らかです。

脱出時、フィニは泳げないオリバーをその身を呈して救いました。
もしフィニが利益目的だけで子供たちを見て動いていたとすれば、F.O.L.児童養護院の「生きた証拠」である子供はたとえオリバーを見捨て残りの3人だけしか救えなかったとしても十分だった筈です。
しかしフィニアンはオリバーを見捨てませんでした。
過去にフィニが同じようにドイツの人体実験施設を脱出した際には、仲間を見捨てたことが対比として描かれています。
※こちらについては下記記事で詳しく言及しています。
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「偽善」ともなってしまうかもしれないこの場面。しかしフィニの想いはきちんとオリバーに届きました。
このシーンはスネークとサーカス団、そして坊ちゃんとの間に起こった悲劇と対比する形で描かれた「希望」の場面なのではないでしょうか。
まとめ
苦しい展開が続く黒執事。
そんな中で今回のF.O.L.児童養護院での子供たちの脱出劇には希望を感じずにはいられませんでした。
生物兵器から人間へ。フィニの変化と子供たちの存在が、今後の黒執事にとって良い方向に進むことを願ってやみません。
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それではまた次の記事でお会いしましょう。
餅月