こんにちは!餅月です。
今日はF.O.L.児童養護院で描かれた「適性」について考察をしていきたいと思います。
今回の記事は、下記記事からの抜粋となります。
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F.O.L.児童養護院の「成果」の証明
F.O.L.児童養護院は、輸血対象者に適合する血液を得るために、輸血対象者を模倣する人物の育成がなされていました。
第210話にて、このF.O.L.児童養護院の「適性」を、読者である私たち自身が証明してしまうようなシーンがあった為考察を残させて頂きます。
言及するシーンは以下の通りです。
・テオに坊ちゃんの面影を重ねるフィニ
・アーティにセバスチャンの面影を重ねる読者
このように、F.O.L.の育成された「模倣品」は、ただの物まねではなく、“本質”を読者やフィニに錯覚させるほどの完成度に達していることがわかります。
テオに坊ちゃんの面影を重ねるフィニ
第210話では、フィニがテオに対し坊ちゃんの面影を重ねるシーンがありました。

テオは兄シエル、そして坊ちゃんを模倣して育てられた子供です。
フィニアンは、ファントムハイヴ家の使用人であり、作中の中で誰よりも近く坊ちゃんを見ている人の1人です。
フィニアンは兄シエルが屋敷に帰還を果たした際、使用人たちの中で唯一兄シエルに対し違和感を持っていました。

つまり、フィニアンは見た目だけでなく中身で兄シエルと坊っちゃんの違いを敏感に察知できる人物であることが分かります。
そんなフィニアンが、顔や髪型が全く異なるはずのテオに坊ちゃんの面影を重ねるという事は、まぎれもなくテオの内面が坊ちゃんと似たものがあることの表れではないでしょうか。
ジェーンの言葉を借りるならば、F.O.L.児童養護院の適性=「魂のかたち」が似ているとは、もしかするとこのことを意味しているのかもしれません。
そんな模倣品の育成を目指しているF.O.L.児童養護院からしてみれば、坊ちゃんの傍で使用人をしているフィニが最適性とされるテオに坊ちゃんの面影を重ねてしまった事自体、思わずほくそ笑みたくなるほどの「成果」である可能性があります。
アーティにセバスチャンの面影を重ねる読者
次に供述したいのがアーティのシーンです。
職員に追い詰められ、文字通り絶体絶命の子供達。
そんな中、まるで救世主の様にひらめく燕尾服の描写がありました。
これを見て、「もしかしてこんな絶体絶命の中でセバスチャンが助けに来てくれた…!?」とつい思ってしまった読者の方は、きっと私だけではなかったはずです。(事実ライブ配信中、私の他にも「一瞬セバスチャンかと私も思いました」というコメントを頂きました。)
しかし、この燕尾服の正体はセバスチャンではなくアーティのものでした。
アーティはマスティフクラスの最適性です。
マスティフクラスは上級使用人としてのスキルを身に付けさせられている為、必然的にアーティは「完璧な執事」であるセバスチャンと酷似して見えることがあります。
先程はフィニアンがテオに坊ちゃんの面影を重ねましたが、もし仮にこのシーンで一瞬でも「セバスチャンか!?」と思ってしまった人がいたとするならば、それは私達読者が自主的にF.O.L.児童養護院の最適性としての成果を認めてしまった証拠と言えるのではないでしょうか。
F.O.L.児童養護院に関わっているであろう、まだ名もなき上の人物をほくそ笑ませてしまったような気がして、なんとも心地よい悔しさを感じました(こういう罠は大好きなのでどんどん引っ掛かっていきたい所存です。)
皆様はこのアーティ君の燕尾服のひらめきをどう思われましたか?
私にはフィニアンとテオの対比として描かれたように思えて非常に深く印象に残りました。
小さいシーンではありますが、この鮮やかな誘導にはゾクゾクと鳥肌を感じずにはいられませんでした。
まとめ
今回は、F.O.L.児童養護院の「最適性」にテーマを絞って考察してみました。
F.O.L.児童養護院は、お星さまの為の血液供給兼使用人育成を目的とした施設の可能性があります。
こちらについてはここで話すには長く、かつとても重要な内容の為、是非詳しく書いた下記個別記事を合わせて読んでみてください!
🔗 関連考察:「兄シエルの“傭兵使用人”とファントムハイヴ家使用人の比較構図」を詳しく知りたい方はこちらから
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それではまた次の記事でお会いしましょう。
餅月