黒執事考察ブログ

葬儀屋(アンダーテイカー)についての考察を載せたいがためにはじめたブログです。『黒執事』に隠された「嘘」と「伏線」に、貴方も騙されていませんか?※本誌内容に言及します※

【キャラ別考察】ブラバット・スカイのモデルは実在する女性である

こんにちは、餅月です。
今回はコメント欄にてアンダーG様よりご助言いただいたものを基に、ブラバットの正体について考察していきたいと思います。アンダーG様ご助言ありがとうございます(#^^#)
ブラバット・スカイという名前。紐解いてみると豪華客船編で登場した製薬会社「オシリス(≒葬儀屋)」との絶妙な関係性が見えてきました。今回はこれらをまとめていきたいと思います。

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黒執事23巻第109話「その執事、信仰」より

ブラバット・スカイのモデルは女性である

ブラバット・スカイ。これを英語に直すと「Blavat sky」です。この名前を続けて読むとBlavat+sky=ブラヴァツキーという名前が浮かび上がってきます。
これは黒執事と全く同じ19世紀イギリスに実在した近代神智学の哲学者ヘレナ・P・ブラヴァツキーを表している可能性が高いです。

哲学者:ヘレナ・P・ブラヴァツキー

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ヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキー (Helena Petrovna Blavatsky)
1831年8月12日 – 1891年5月8日
近代神智学を創唱した人物で、神智学協会の設立者のひとりである。

著書の訳書はH・P・ブラヴァツキーかヘレナ・P・ブラヴァツキーとして出ている。通称ブラヴァツキー夫人。ドイツ/ロシア系で、ロシア語でのフルネームはエレーナ・ペトローヴナ・ブラヴァーツカヤ (Елена Петровна Блаватская, Eelena Petrovna Blavatskaya) である(ブラヴァーツカヤはブラヴァーツキーの女性形)。旧姓フォン・ハーン (von Hahn)。

彼女の生涯は多くの謎があり、特に1874年にアメリカで活動を始めるまでの前半生はまったくヴェールにつつまれ、多くの神話に彩られている。ブラヴァツキー自身が残したメモや日記、周囲の人びとに語ったことがら、親族など近しい人びとの証言などが再構成され一般にも流布しているが、相互に矛盾が多く、一見荒唐無稽とも思われる事件の連続であり、真偽については議論を呼んできた。神智学協会や支持者は正しさを証明しようとし、批判者は虚偽であることを暴こうとし、現在も毀誉褒貶が激しい人物である。


神智学協会の思想は、キリスト教・仏教・ヒンドゥー教・古代エジプトの宗教をはじめ、さまざまな宗教や神秘主義思想を折衷したものである。

幼いころから精霊と会話する夢見がちな少女であったという。性格的には激しい気性の持ち主であったという。1844年には父親とともにパリとロンドンに行き音楽教育を受け、ピアノ演奏などを習得した。

離婚後のブラヴァツキーの人生は謎に包まれ、1873年にパリに戻るまで、24年間の動向に定説はない。

1851年パリ滞在時に、催眠術師の被験者になって水晶占いや霊体離脱を学び(彼女はトランス状態で完全な人格転換を起こす優秀な霊媒であったといわれる)


引用源:ヘレナ・P・ブラヴァツキー - Wikipedia


ブラヴァツキーとブラバット・スカイの共通点

ブラヴァツキーとブラバット・スカイは多くの共通点があるので箇条書きでまとめていきたいと思います。

  • 宗教とのかかわりが非常に深い
  • その人生の多くが謎に包まれている
  • ピアノなど、音楽に長けていた
  • 著書『ベールをとったイシス』←葬儀屋との関係性を表している(詳しく説明します)
  • 実在した秘密グループ「スフィア」「暁の星」「星の教団」大きく影響を及ぼしている人物

ブラヴァツキーは著名人であるにも関わらず、出奔後の人生は多くが謎を残しています。また神学、フリーメイソンなど秘密結社との色濃い関係性もある人物でした。
またピアノに触れていた経験もあるようで、ブラバット・スカイが作詞作曲にたけていたことも共通点として見出すことが出来ます。

葬儀屋とブラバットの関係性

『ヴェールを脱いだイシス神』このこちらのブラヴァツキーの著書が、ブラバットと葬儀屋との関係性を紐解く大きな伏線である可能性があります。
注目していただきたいのはイシスという文字。この文字から葬儀屋とブラヴァツキ―を結びつけることが出来ます。

豪華客船編:製薬会社オシリス

以前、アウローラ学会にビザールドールを依頼した製薬会社オシリスについて言及しました。
簡単にまとめるとオシリスとはエジプト神の名前です。彼は冥界の王として死者を裁きました。遺体をバラバラにされナイル川に投げ込まれた経験があります。植物神でもあり、肌の色は「緑」
死者を裁く者(死神)、遺体をバラバラにされ、「緑」というワード。これらがすべて葬儀屋(アンダーテイカー)に当てはまります。

つまり、オシリス≒葬儀屋の暗示ととらえてほぼ間違いないでしょう。
そして、このオシリスの遺体がバラバラにされたナイル川に投げ込まれた際、それを拾い集めて復活させた人物こそがイシスなのです。

葬儀屋とブラバットの関係性はまだ明らかになっていません。しかし青の教団編の裏で糸を引いているのは間違いなく葬儀屋ですし、葬儀屋とブラバットは何らかのかかわりが間違いなくあります。上位関係は恐らく『葬儀屋>ブラバット』でしょうが・・。
ブラバットが、昔バラバラになった葬儀屋をつなぎ合わせ復活させた・・とはまだ流石にまだ言えませんし年代的にもその可能性は低いと感じます。しかし葬儀屋とブラバットは利害関係以外の、もっと深い根本的なかかわりがある可能性が高いと感じています。
三つ編みもおそろいなので多分結構仲良しです(勝手な妄想ですが、ブラバットが葬儀屋をリスペクトして真似しているのかなーと感じています笑)
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製薬会社オシリスとイシス、葬儀屋の関係性を具体的に知りたい方はこちらの記事をご覧下さい。
www.under-taker.com

遺髪入れとブラバット

葬儀屋の遺髪入れの中には「B」から始まる姓の人物が存在します。ひょっとしたらブラバットは葬儀屋の遺髪入れに名前を連ねている人物の子孫だったりするのかもしれませんね。

まとめ

最後にブラヴァツキーの年表をまとめておきます。黒執事のブラバットは謎多き人物ですが、その「謎多き人物」ということそのものが歴史上の史実通りだったということが非常に面白いと感じました。
まだ葬儀屋とブラバットが直接顔を合わせた描写はありませんが、この二人は必ず知り合いであり、何かしらの強い関係性があります。
豪華客船編の時のリアンのような一時的なタッグではなく、もう少し根深い可能性があります。
ブラバットは半年以上本誌に登場していません。一見小物感、咬ませ犬的なポジションが強くなってしまっているブラバットですが、彼は今既にロンドンに戻ってきていますし、近いうちにまた現れ、葬儀屋との意外な関係性(主従関係?)を明らかにしてくれると予想しています。

今後の登場が楽しみですね!
今回はここまで!また追記があれば載せさせていただきます。
餅月

ブラヴァツキー年表
  • 1831年ウクライナ・エカチェリノスラフ(現ドニプロペトロウシク)にて、ペーター・フォン・ハーンを父として、ヘレナ・アンドレヤヴナを母として誕生する。
  • 1848年、20歳以上も年上のニキフォル・ブラヴァツキーと結婚。だが、3ヶ月もたたずに出奔。以降58年ごろから数年間ロシアに戻っていたこと以外、73年まで定説なし。
  • 1873年 渡米。
  • 1875年11月17日、ニューヨークに「神智学協会」を創設し、神智学協会の初代会長には、ヘンリー・スティール・オルコットが就任した。
  • 1877年Isis unveiled『ヴェールを脱いだイシス神』執筆
  • 1879年、アーリヤ・サマージの運動に共鳴し、神智学協会の本部はインドのアディヤールに移転。神智学協会の機関紙として『ザ・セオソフィスト(神智学徒)』と『ルシファー』を刊行。クートフーミ導師(マハトマ)とモリヤ導師教えを受けたと主張しはじめる。大師(マスター)から物質化した手紙を受け取っているともしていたが、疑問に思う人も存在し、物議をかもしていた。
  • 1884年イギリスSPRのリチャード・ホジソンにより神智学協会を解雇された女性の報復に基づいて、留守中に心霊現象の真偽を調べられる(1885年にホジソン・レポート(英語版)が公表される)。
  • 1884年イギリス、ロンドンに移動した。
  • 1888年『秘密教義(シークレット・ドクトリン)』を執筆。
  • 1889年『神智学の鍵』執筆。
  • 1889年『沈黙の声』執筆。
  • 晩年には秘教部門を神智学協会の中につくり、神智学の教えの最重要部分を神智学協会の中枢の会員に伝授したと主張した。
  • 1891年5月8日死去。